民主党へ行った辻元清美より、その場限りの思いつき被害者は声をあげれない国民

辻元清美が民主党大阪10区支部長に・・
2009年の衆議院選挙、政権交代の選挙といわれ
社民党の辻元は是が非でも
小選挙区当選を果さなければならない理由があった。

それは、近畿比例立候補の服部良一と
兵庫尼崎選挙区の市来を当選させる事が
今後の社民党の党勢が懸かっていた。
結果、辻元は10区の小選挙区を勝ち抜き
比例で服部良一を当選させることが出来た。

選挙後、民主・社民・国民新党3党連立政権で
辻元は党の国対委員長に就任する予定が
国交省副大臣に就任(当時前原が大臣)
これは前原の一本釣りと言われているが
これは、辻元を民主に取り込む手段として
使われている。

話を戻すと、2009年の選挙では
民主・社民・国民の選挙協力が行われ
大阪10区は辻元となり民主の候補は
立候補していない。

当然、連合という組合組織も辻元を推薦する。
今まで、辻元の労組応援は私鉄総連だが
これは表立っての活動はしていない。

今までは社民党の支持者と
本人の支持基盤での選挙から一転
労組が前面応援と言う今まで経験のない
選挙戦であった。

当然、連合の応援となると
演説の一字一句まで注文が出される事は
選挙をした人間なら誰しも経験した事実である。
この時既に辻元の中では次の選挙で民主党候補が立てば
必ず負けると言う恐怖心があったといっても過言ではない。

10区の候補者で辻元が勝ち続けるには
3党連立が永久に続かなくてはならない
そんな保障があるわけもなく、
2010年6月、鳩山退陣と同時に
恐怖は現実問題となったのである。

よく、国交省の副大臣になるのに
駄々をこねたなどとマスコミもネットも
面白おかしく書いているが
政党の国対委員長を閣僚にとは
理不尽な行為であるが、
私は、ここで次の選挙の裏づけの話が出来ていたと思う。

2010年8月の参議院選挙
沖縄辺野古基地新設、普天間問題で
政権を投げ出した、ボンボン総理鳩山との
連立を離脱した社民党は近畿比例の候補者を立てたが
この選挙、菅の増税宣言と
マニフェストの見直しの中、民主は逆風であり
結果、参議院で少数与党に転落したが

この選挙で、辻元は民主の尾立(大阪選挙区)
の応援に加担したのである。
それは社民の辻元でなく
民主を応援する辻元に代わった瞬間である。


その影には労組、連合と言う大組織が
辻元を社民から引き剥がしにかかり
辻元も少数野党からの脱却と利害が一致したのであろう。

俗っぽい言い方をすれば
大臣・与党病である。
政治家から政治屋にとは世の中の処世術。
であろうと考える。

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そんな大臣病が民主党の中から続々と出てくる。

細野は


放射能汚染の瓦礫を国有林にと言い出したが
その影響をどこまで考えているのか
まさに野となれ山となれ、荒れた山河である。


また、鉢呂は

被災地を「・・死の町と・・」


細野も鉢呂もこんな状況にしたのは
政治の責任と言う自覚があるのか。

政治の責任は重いが
それを選び 監視する主権者の責任はもっと重い

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追加しました。9/11

「死のまち・・」発言の鉢呂が大臣辞任しました。
たった10日間の大臣の椅子でしたが、
なぜ、「死のまち」になったのかを考えないで
発言する軽さ、
自覚して発言したなら
堂々と釈明するべきである。
「死のまち」は事実なのだから。


もうひとつ、
大したことはない話題だけれど
辻元清美民主党入り。

本人は、
「与党でないと何もできない
絵に描いた餅で終わらせたくない
1ミリでも前にすすめようと・・」
発言しているようですが、

思うような成果を得られず、
少数組合とか避難されても
がんばっている人は沢山いる。
すでに、辻元にはそれらの人が
なけなしの労力と金銭を支援してくれたことすら
関係ないのであるらしい。

次の選挙で与党から転落したら
また与党めぐりをするのか
見ものである。

民主に行くなら
もう少し別の言い方があるだろう。
これが、市民運動家(自称)の
考え方である。
菅で実証済みである。

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